
宵祭りは、城下町・津山の歴史的町並みと提灯などで彩られた「だんじり」とのコントラストが見事です。
>>宵祭りフォトギャラリー
<当会館の活動についてはこちら>
|
「津山まつり」は、東の大隅神社、総鎮守の徳守神社、西の高野神社の秋祭りの総称です。元々は大隅神社、徳守神社の秋祭りの総称でしたが、近年、高野神社が加わりました。津山は古くから、美作の政治、経済の中心地、出雲街道・吉井川水運などの交通拠点として栄えてきました。慶長8年(西暦1603)森忠政(織田信長に仕えた森蘭丸の弟)の入国によって築かれた強固な城下町は今でもその面影を色濃く残し、美しく積み上げられた石垣がほぼ完全な形で残る津山城跡(鶴山、国史跡)を中心に城東、城西に分かれる近代的城下町の中に風情を漂わせる旧出雲街道沿、閑静なたたずまいをみせる武家屋敷、神社、仏閣が多く、街には清流が流れ「西の小京都」と呼ばれる美しい城下町をだんじりが練るコントラストは祭りのもう一つの見どころです。「津山だんじり」は各町内で守り受け継いできた県指定重要有形民俗文化財のだんじりが徳守神社に20臺、大隅神社に7臺あり、飾り山車(だし)と呼ばれる昭和になって新造されただんじりと併せ約50臺のだんじりが、400年の歴史を持つ「津山まつり」を盛り上げます。

総鎮守・徳守神社の祭礼は、森忠政が慶長9年(1604)に同宮を再建して間もなく始まったとされ氏子が練り物を出したのも同時期とされる。明和5年(1766)年に京町、元魚町、鍛冶町、坪井町が「家臺」を出し、文化7年(1810)に京町、新魚町が子供を乗せ太鼓をたたかせる「神輿太鼓」を出した。大隅神社は文政9年(1826)の祭礼に中之町から、天保12年(1841)には伏見町、材木町から彫り物の付いた「神輿太鼓」が登場し、現在の「津山だんじり」へと発展していく。
>>津山だんじりの歴史をもっと詳しく >>台車の変遷 |