池上会長、本当にお世話になりました。

ご遺志を継ぎ、津山まつりを発展させていきたいと思っています。

舁き山復活も会長の「やろう」の一言で動き始めた事を今でも忘れられない記憶として、残っています。

祭り発展のためにご尽力されたこと忘れません。

ありがとうございました。今年も会長が「おう、やれやれ」と後押してくれていると信じて、進んで行きたいと考えています。

2015年1月1日 津山だんじり保存会館



 平成21年10月4日、明治まで担がれていた「津山だんじり」が台車から再び降りて、本来の舁き山として120年ぶりに復活しました。
 津山・城西まるごと博物館フェアのイベントの一つとして行なわれたもので、晴れ渡った空の下、多くの人でにぎわう歩行者天国の会場を練りました。フェアが盛り上がっているからこそ「津山だんじり」本来の担いだ姿をPRすることができたと感じています。「津山まつり」同様にこのフェアが長い歴史を刻み城西地区を発信していくと確信した1日でもありました。
担がれた簾珠臺の右後方に鰕若臺(西今町) 出発前の神事
 宮脇町の行動力・実行力にはいつも感服させられます。9月の初め池上会長が「やろう」。徳守神社の福田宮司が「面白い」と言われた瞬間に動き始め、短い準備期間でも120年間行なわれなかったことが、実現できてしまったという感じです。もちろん、関係者の皆様のご尽力あってのことだと前置きしてです。上の写真「簾珠臺」の「簾」の字が間違っていることに気付いたのも前日でした。しかしせっかくだからということで、そのまま使用されましたので、こちらでご報告と訂正させていただきます。
 担いでみて改めて祭りの歴史、そして伝統をずしりと感じることが出来ました。120年前も同じく沿道にはたくさんの見物客がいて鐘、太鼓そして「ソーヤレ」の掛け声が近づいてくると拍手で迎えたのでしょう。差し上げた「簾珠臺」を見たとき自分たちが動かしているという感覚を強く覚えました。「ソーヤレ」という掛け声と鐘、太鼓の囃子は、元々担いでいた時のものなので、当たり前と言えば当たり前なのですが、全く違和感なく担ぐことが出来、曳くことに慣れてしまった私たちからすると不思議な体験をすることができました。
 何事も体験することが大事と改めて思う今回の舁き山復活でした。現在も当時の担ぎ棒を保存している町内もあり、来年は我が町内が担ごうかなどの話も出て内外で盛り上がった今回の復活でした。


■新聞各社の報道
 徳守神社へ120年ぶり「担ぎ」宮入り(山陽新聞09/10/05)
 「担ぐ津山だんじり」120年ぶり雄姿(朝日新聞09/10/05)
 だんじり120年ぶり担ぐ(読売新聞09/10/05)
 「舁(か)き山」戻し120年ぶり再現(津山朝日新聞09/10/05)


 ※上記は、いつリンク切れになるか分かりません。ご承知ください。


■復活を見た感想(上記の津山朝日新聞から)
 茅町の男性(77)は「昔の姿に戻すと聞き、ぜひ見たいと待っていた。素晴らしいし、若い人たちの心意気がうれしい」と見入っていた。


 城西まるごと博物館フェアでは、もう一臺のだんじりが来場者の目を惹きました。簾珠臺と同じく解体修理を終え、お披露目された西今町の鰕若臺(弘化三年・1846)です。解体修理で役目を終えた部材の展示と解体修理の詳細を写真で振り返るコーナーも設けられ注目を集めていました。
 フェアで展示されていた部材は、城西浪漫館へ寄贈していただきましたので、また機会を設けて展示したいと考えています。そして上3枚の写真でも分かるように、展示中は「運転席を見せない提案」を早速、受け入れていただき、本当にありがとうございました。当日の最後は、鰕若臺も一緒に城西浪漫館へ(写真左)お越しいただきまして重ねて御礼申し上げます。



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